複合語が慣用化する過程で見られる音の変化:連濁や促音化以外の脱落、融合、同化を伴う単語例
はじめに
日本語には、二つ以上の単語が組み合わさって一つの新しい単語を形成する「複合語」が数多く存在します。これらの複合語の多くは、元の単語を単純に結合させただけでは説明できない、独自の音変化を伴っています。特に有名なのは「連濁」(後続語の語頭清音が濁音化する現象)や「促音化」(語の境界に「っ」のような音が入る現象)ですが、これら以外にも、語が慣用化し、一つのまとまった単語として意識されるようになる過程で、音の脱落、隣接音の融合、あるいは音の同化といった多様な変化が生じることがあります。
本稿では、連濁や促音化といった比較的規則的な変化とは異なる、複合語の固定化・慣用化に伴って生じる音の変化に焦点を当てます。具体的な単語例を通して、なぜそのような変化が起こるのか、その背後にある音声学的・音韻論的なメカニズムを探求し、複合語が単なる要素の羅列ではなく、独自の音韻構造を持つ単位へと変容していく過程を追体験します。
複合語における音変化の多様性
複合語は、構成要素となる単語の意味を合わせたものですが、その音声形は必ずしも元の単語の音形を単純に連結しただけではありません。例えば、「本」[hoɴ] と 「棚」[tana] が組み合わさった「本棚」は [hoɴdana] となり、「棚」の語頭の子音 [t] が濁音の [d] に変化しています。これは連濁の一例です。また、「叩く」[tataku] の連用形 「叩き」[tataki] と 「つける」[t͡sukeru] が組み合わさった「叩きつける」は [tatakːit͡sukeru] となり、「叩き」の語末母音 [i] が脱落し、後続の [t͡s] が促音化しています。これは複合語における促音化の一例です。
しかし、複合語にはこれら以外にも、より複雑な、あるいは非規則的に見える音の変化が見られます。特に、特定の語が歴史的に長く使われ、一つの慣用的な単語として定着していく過程で、発音の便宜や音節構造の調整といった要因から、音の脱落や融合、同化といった現象が起こることがあります。
音の脱落を伴う複合語の例
複合語が短縮され、発音しやすい形になる過程で、特定の音が脱落することがあります。
「さつき」(五月)
「さつき」という言葉は、元々は旧暦の「早苗月(さなへつき)」という複合語が変化したものです。
- 元の形: 早苗月 [sanae t͡suki]
- 変化の過程(推定):
- 早苗月 [sanae t͡suki]
- 語頭部の短縮・音の脱落: [sanae t͡suki] → [sat͡suki]
- この過程では、語頭の「早苗」の部分の音が大きく変化し、[sanae] から [sa] が残り、後の音が脱落するか、あるいは全体が短縮されて [sat͡su] のような音になり、それに「月」の [ki] が続いたと考えられます。特に、「なえ」の部分の母音 [a] と [e]、子音 [n] が脱落しています。
- 現代の形: さつき [sat͡suki]
この変化は、おそらく「早苗月」という四音節の言葉が日常的に使われる中で、より短い二音節の「さつき」へと短縮された結果生じたと考えられます。音節数を減らすことで、発話の労力が軽減され、言葉が定着しやすくなったと言えるでしょう。
「いなずま」(稲妻)
「いなずま」は、元々は「稲妻(いなつるま)」という複合語が変化したものです。「つるま」は古語で稲の穂のこと、あるいは稲の生育に関わる現象(雷光は稲を実らせると信じられていたため)を指したと考えられています。
- 元の形: 稲妻 [ina t͡suruma]
- 変化の過程:
- 稲妻 [ina t͡suruma]
- 連濁: [t͡su] → [d͡zu] (ず)
- [ina d͡zuruma]
- 音の脱落: [ru] の音が脱落
- [ina d͡zuma]
- 現代の形: いなずま [inazuma] ([d͡zu] と [zu] は現代日本語では多くの場合同じ音です)
この例では、後続語の語頭に連濁が生じた後、さらに中間部分の [ru] という音が脱落しています。これもまた、五音節から四音節へと短縮されることで、発音の簡便化が図られた結果と言えるでしょう。
音の融合・同化を伴う複合語の例
隣接する音が互いに影響し合って、元の音とは異なる新しい音が生じたり、一方の音に他方の音が近づいたり(同化)する現象も、複合語の固定化の過程で見られます。
「かんなづき」(神無月)
旧暦十月の別称である「かんなづき」は、元々は「神無月(かみなづき)」という複合語が変化したものです。
- 元の形: 神無月 [kamina d͡zuki] (または [kamina t͡suki])
- 変化の過程:
- 神無月 [kamina d͡zuki]
- 鼻音同化: 語頭の [kami] の語末鼻音 [m] が、後続の [na] の語頭鼻音 [n] に影響され、[n] に変化。
- [kanina d͡zuki]
- 音の脱落・長鼻音化: 語頭の [ni] が脱落し、残った [n] が後続の [na] の [n] と結合し、長鼻音 [nn] となる。
- [kanːa d͡zuki]
- 現代の形: かんなづき [kanːad͡zuki] ([d͡zu] は [zu] とも発音されます)
この例では、まず前の語の語末子音 [m] が、後の語の語頭子音 [n] に調音点が同化し、[n] に変化しています。さらに、中間部分の音 ([ni]) が脱落し、鼻音 [n] が連続した結果、長鼻音 [nn] が生じています。これもまた、音節数の削減と、隣接音による調音の便宜が複合的に働いた結果と考えられます。
「ふなうた」(船唄)
「ふなうた」は、「船(ふね)」と「唄(うた)」が組み合わさった複合語ですが、結合した形は「ふねうた」ではなく「ふなうた」となります。これは、単なる音変化というよりは、複合語を形成する際に、語頭の要素として「船」の古い形である「ふな」が採用された結果と解釈するのが自然です。
- 元の単語: 船 [ɸune], 唄 [uta]
- 複合語形成: 古い形「ふな」[ɸuna] + 「うた」[uta]
- 結合: [ɸuna] + [uta] → [ɸunauta]
- 現代の形: ふなうた [ɸunauta]
このような例は、複合語が形成される際に、構成要素の現在の音形ではなく、より古い時代の音形や、特定の環境で使われていた異形が選択される場合があることを示唆しています。
メカニズムの考察
これらの複合語に見られる音の脱落、融合、同化といった現象は、単語が歴史的に、あるいは社会的に定着していく過程で生じることが多いと言えます。そのメカニズムとしては、主に以下の要因が考えられます。
- 発音の簡便化(Economy of effort): 音節数を減らしたり、隣接する音が発音しやすいように変化したりすることで、発話に必要な労力を軽減しようとする傾向。上記で見た脱落や同化は、この要因によるものと考えられます。
- 音韻構造への適合: 言語が持つ特定の音韻構造(例:日本語は開音節が多い)に適合させるための変化。外来語の借用に見られる子音連続の解消や語末母音添加もこれに当たりますが、複合語形成においても、特定の音の並びが避けられる傾向が見られる可能性があります。
- 語彙化・慣用化: 複合語が単なる語の並びではなく、一つのまとまった語彙単位として意識されるようになる過程で、独自の音韻形を持つようになること。この過程で、元の単語の音形から離れた、より短縮されたり変化したりした形が定着することがあります。
これらのメカニズムは単独で働くこともありますが、多くの場合、複数の要因が複合的に影響し合って特定の音変化が生じると考えられます。
結論
本稿では、複合語が形成され、慣用的な単語として定着していく過程で見られる、連濁や促音化以外の音変化に焦点を当てました。「さつき」や「いなずま」に見られる音の脱落、「かんなづき」に見られる同化や長鼻音化といった例は、複合語が単なる構成要素の足し算ではなく、独自の音韻変化を伴う複雑な現象であることを示しています。
これらの変化は、発音の簡便化や音韻構造への適合といった音声学的・音韻論的な要因に加え、その語が社会的にどれだけ使われ、一つの単語として定着しているかという語彙化・慣用化の度合いにも影響されます。
単語の音変化を追うことは、単語一つ一つが持つ歴史や、その言葉が話者によってどのように扱われてきたかを知る手がかりとなります。複合語の音変化は、言語が常に変化し、話者の使用を通して形作られていく動的な性質を理解する上で、非常に興味深いテーマと言えるでしょう。このような単語レベルの具体的な観察を通して、抽象的な音声変化の法則が、生きた言葉の中でどのように息づいているのかを感じ取っていただければ幸いです。