日本語の母音連続解消に伴う音変化:母音脱落と長音化/子音化のメカニズムを単語例で追う
日本語において、複数の母音が連続して現れる音環境は、しばしば音声変化を引き起こす要因となります。特に発話の速度が速い場合や、特定の母音の組み合わせにおいて、この母音連続を解消しようとする力が働きます。母音連続の解消方法にはいくつかの種類がありますが、ここではその中でも「母音脱落」に焦点を当て、脱落した母音の後続音に長音化や子音化(半母音化)が生じるメカニズムを、具体的な単語例を通して詳細に解説します。
母音連続とは何か、そしてなぜ解消されるのか
日本語の音節構造は基本的に「子音+母音」(CV)または「母音」(V)、「撥音」(N)、「促音」(Q)から構成されます。しかし、単語や句が連結する際、あるいは単語内部の形態素の境界において、母音が連続して現れることがあります。例えば、「雨が降る」は /ame ga huɾu/ と発音され、/e/ と /g/ の間、/a/ と /g/ の間には子音が入っていますが、「雨音」となると /amaoto/ のように /a/ と /o/、/o/ と /o/ の母音連続が生じます。
このような母音連続は、特に同じ母音や調音位置が近い母音の連続、あるいは非アクセント位置の母音が含まれる場合に、発音の負担を増やすことがあります。調音器官(舌、唇など)を大きく、かつ素早く動かす必要が生じるためです。この調音の便宜を求めたり、音節構造をより単純化したりする傾向から、母音連続を解消する音声変化が起こりやすくなります。
母音連続の主な解消方法には、以下のものがあります。
- 母音融合: 連続する二つの母音が融合して、一つの新しい母音や二重母音になる。例:「かう」/kau/ > /koː/ 「こう」
- 子音添加: 連続する母音の間に子音が挿入される。例:「顔色」/kao iɾo/ > /kaowiɾo/
- 母音脱落: 連続する母音のどちらか、あるいは両方の一部が脱落する。
本記事では、3番目の母音脱落、特に脱落に伴って後続母音が長音化したり、脱落した母音が半母音化したりするケースに焦点を当てます。
母音脱落とそれに続く音変化のメカニズム
母音脱落は、通常、連続する母音のどちらか一方、または両方のごく一部が発音されなくなる現象です。特に非アクセント位置の母音、あるいは同じ母音の連続で起こりやすい傾向があります。この脱落した母音の痕跡が、後続する母音の長音化や、母音の前の半母音化として現れることがあります。
この現象は、単語の形成過程(歴史的な変化)や、現代語の口語表現において頻繁に見られます。
1. 同じ母音の連続による脱落と長音化
同じ母音が連続する場合、二つの母音を区別して発音するよりも、一つにまとめて長く発音する方が調音の負担が少なくなります。これにより、二つの母音が融合し、その結果、長母音が生まれる現象です。
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例1: 「食う」
- 原形: /ku + u/ (形態素の連結)
- 変化: /kuː/
- 解説: 動詞「食う」の語幹 /ku/ と語尾 /u/ が連結した際に、同じ母音 /u/ が連続します。この二つの /u/ が融合し、一つの長い /uː/ となります。調音の便宜が主な要因です。
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例2: 「吸う」
- 原形: /su + u/
- 変化: /suː/
- 解説: 「吸う」も同様に、語幹 /su/ と語尾 /u/ の連結で /u/ が連続し、長母音 /uː/ に変化します。
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例3: 「ああ」
- 原形: /a + a/ (感動詞、繰り返しの構造)
- 変化: /aː/
- 解説: 同じ母音 /a/ の繰り返しが、長母音 /aː/ に変化した例です。オノマトペや強調表現など、繰り返し構造を持つ語によく見られます。
2. 異なる母音の連続における脱落と長音化/子音化
異なる母音が連続する場合でも、特に特定の母音の組み合わせや、非アクセント位置の母音で脱落が起こり得ます。脱落した母音の一部が後続の母音の発音に影響を与え、長音化や半母音化(/j/, /w/)として現れることがあります。これは母音融合と重なる部分もありますが、脱落を主眼に捉える場合、元の母音の痕跡や、どちらの母音が主として残るかという視点が重要になります。
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例1: 「~てある」
- 原形: /te + aɾu/
- 変化(口語): /teːɾu/
- 解説: 接続助詞「て」の母音 /e/ と、補助動詞「ある」の母音 /a/ が連続しています。口語では、/e/ が脱落し、後続の /a/ を引き伸ばす形で長母音 /eː/ または /aː/ に変化することがあります。一般的には /eː/ として捉えられ、「てーる」のように表記されることもあります。これは、/e/ の脱落と /a/ への影響、あるいは /e/ と /a/ の融合が同時に起こっている複雑な現象と言えます。調音の便宜と発話速度が関わっています。
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例2: 「~ていく」
- 原形: /te + iku/
- 変化(口語): /teku/ /tikku/
- 解説: 接続助詞「て」の母音 /e/ と、補助動詞「いく」の母音 /i/ が連続しています。口語では、/e/ が脱落して /tku/ となり、さらに子音連続を解消するために /i/ が挿入されたり(/tiku/ は一般的ではない)、促音化が生じたりすることがあります(/tikku/)。長音化よりも、単なる母音脱落やそれに伴う別の変化が生じやすい例です。
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例3: 「可愛い」
- 原形: /ka + awaii/
- 変化: /kawaii/ または /ka(w)aii/
- 解説: /a/ と /a/ の連続の間に /w/ が現れる例ですが、歴史的には「かあひ」/ka api/ > /kaapi/ > /kaafi/ > /ka(w)aii/ /kawaii/ のような変化をたどったと考えられています(諸説あります)。現代語の /ka+awaii/ という分析は少し難しいですが、類似の現象として、母音 /u/ や /o/ に続く /a/ や /i/ の前に半母音 /w/ や /j/ が挿落される、あるいは前の母音(/u/, /o/, /i/, /e/)が半母音化して後ろの母音に続くという見方ができます。例:「買おう」/ka+oː/ > /kawoː/、これは /a/ と /o/ の連続であり、前の母音 /a/ が脱落し、後の母音 /oː/ の前に /w/ が生じた、あるいは前の母音 /a/ が半母音 /w/ に変化したと捉えることができます。
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例4: 「言う」
- 原形: /i + u/
- 変化: /iu/ または /juː/
- 解説: 動詞「言う」の語幹 /i/ と語尾 /u/ の連結で /i/ と /u/ が連続します。標準的な発音は /iu/ ですが、口語ではしばしば /juː/ と発音されます。これは、前の母音 /i/ が半母音 /j/ に変化し、後続の母音 /u/ と結合して長母音 /uː/ に変化したと考えられます。これも母音脱落(厳密には半母音化)と長音化が組み合わさった現象です。
これらの例から分かるように、異なる母音の連続における脱落とその後の変化は、単なる脱落だけでなく、長音化や半母音化を伴う複雑なプロセスであることがわかります。どの母音が脱落しやすいか、そしてその結果どのような変化が生じるかは、母音の組み合わせ、アクセント、発話速度、そして歴史的な経緯によって異なります。
なぜこのような変化が起こるのか
母音脱落やそれに続く長音化・子音化は、主に以下の要因によって引き起こされると考えられます。
- 調音の便宜 (Ease of Articulation): 連続する二つの母音を明確に発音するためには、調音器官を大きく動かす必要があります。特に類似した母音や、異なる母音であっても素早い切り替えが要求される場合、調音的な負担が生じます。母音のどちらかを脱落させたり、一つの母音にまとめたり、間に子音を入れたりすることで、調音の動きが単純化され、発音が容易になります。
- 時間的制約/発話速度: 日常会話では、より少ない時間で多くの情報を伝えるために、発話速度が速くなる傾向があります。これにより、一つ一つの音が完全に発音されず、音が脱落したり短縮されたりする現象が起こりやすくなります。母音連続における脱落と長音化は、音節数を減らし、全体の発話時間を短縮する効果があります。
- 音韻構造の単純化: 日本語は基本的に開音節(母音で終わる音節)を好む言語です。母音連続も、連続する母音を一つの長い母音として捉えたり、間に半母音を入れたりすることで、より典型的なCVまたはVの音節構造に近づけようとする力が働く場合があります。
これらの要因が複合的に作用し、母音連続における母音脱落とその後の音変化を引き起こしています。歴史的な変化として定着したものもあれば、「~てる」のように現代の口語で広く見られるものもあります。
結論
日本語における母音連続の解消は、多様な音声変化を生み出す興味深い現象です。中でも母音脱落は、調音の便宜や時間的制約といった普遍的な音声変化のメカニズムが如実に現れる例と言えます。脱落した母音の痕跡が長音化や子音化として現れるプロセスは、単語の表面的な形だけでは見えてこない音のダイナミクスを示しています。
このような音声変化のプロセスを具体的な単語例を通して追体験することは、単に個々の単語の形を理解するだけでなく、日本語の音韻構造や発音の傾向、さらには言語が時間とともにどのように変化していくかという言語の普遍的な性質への理解を深めることに繋がります。日常何気なく発音している言葉の中に隠された音の法則を解き明かすことは、言語というシステムの精緻さと面白さを再認識させてくれるでしょう。