なぜ「じ」と「ぢ」は同じ音?四つ仮名の合流に見る歴史的音変化を単語例で追う
はじめに
現代日本語において、「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」は、原則として同じ発音をします。例えば、「味(あじ)」と「鼻血(はなぢ)」、「水(みず)」と「続く(つづく)」は、それぞれ同じ「ジ」や「ズ」の音で発音されます。しかし、歴史的仮名遣いではこれらの表記が区別されており、現代でも特定のルールに基づいて「ぢ」「づ」が使われることがあります。この「四つ仮名」と呼ばれる「じ」「ぢ」「ず」「づ」の区別が失われたのは、歴史的な音声変化の結果です。本稿では、これらの音がどのように変化し、なぜ現代日本語で同じ音になったのかを、具体的な単語例を通して追体験していきます。
歴史的な音価と四つ仮名
奈良時代頃の日本語では、「じ」「ぢ」「ず」「づ」はそれぞれ異なる子音を持っていました。
- 「じ」は、/zi/ あるいは /ʒi/ のような音(現代の「ざ行」の摩擦音に近い)
- 「ぢ」は、/di/ あるいは /d͡ʑi/ のような音(「だ行」+イ段母音)
- 「ず」は、/zu/ あるいは /zu̹/ のような音(現代の「ざ行」の摩擦音に近い)
- 「づ」は、/du/ あるいは /d͡zu/ のような音(「だ行」+ウ段母音)
現代の音と比べると、「じ」「ず」は比較的近い音ですが、「ぢ」「づ」は明らかに異なる音でした。これらはそれぞれ異なる語源を持つ単語に使われていました。
「ぢ」と「じ」の源流の単語例
「ぢ」は、もともとタ行の音(チ /ti/ やツ /tu/)が濁音化したり、ダ行の音(ディ /di/ など)に由来したりする単語に現れました。一方、「じ」はサ行の音(シ /si/ など)が濁音化したり、ザ行の音(ジ /zi/ など)に由来する単語に現れました。
- 「ぢ」の源流の例:
- 鼻血(はなぢ): 「はな」+「ち(血)」。連濁により「ち」が濁音化し「ぢ」に。もとの音は /ti/ 系列。
- 縮む(ちぢむ): 畳語。もとの音は「ち」/ti/ 系列。
- 二の字(にのじ): 「にの」+「ち(字)」。連濁により「ち」が濁音化し「ぢ」に。
- 「じ」の源流の例:
- 味(あじ): もとから濁音だったと考えられる。もとの音は /zi/ 系列。
- 寺(てら): 仏教語の借用語。もとの音は /zi/ 系列。
- 爺(じじ): 畳語。もとの音は /zi/ 系列。
「づ」と「ず」の源流の単語例
同様に、「づ」はツ行の音(ツ /tu/)が濁音化したり、ダ行の音(ドゥ /du/ など)に由来する単語に現れ、「ず」はス行の音(ス /su/)が濁音化したり、ザ行の音(ズ /zu/ など)に由来する単語に現れました。
- 「づ」の源流の例:
- 水(みづ): もとからこの表記と音。もとの音は /du/ 系列。
- 続く(つづく): 畳語。もとの音は「つ」/tu/ 系列。
- 絆(きづ): 「きつ」+「きず」。連濁により「つ」が濁音化し「づ」に。もとの音は /tu/ 系列。
- 「ず」の源流の例:
- 図(ず): 漢字音。もとの音は /zu/ 系列。
- ずっと: 副詞。もとの音は /zu/ 系列。
- 襖(ふすま): 「ふす」+「ま」。連濁により「す」が濁音化し「ず」に。
音変化のメカニズム:なぜ合流したのか
これらの音が現代で同じ発音になったのは、主に以下の音声変化が歴史的に進行したためです。
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タ行・ダ行子音の口蓋化・摩擦音化:
- 「チ」/ti/ は、後続する母音 /i/ の影響を受け、口蓋化して /t͡ʃi/(チャ行の子音+イ)のような音になりました。
- その濁音である「ぢ」/di/ も同様に、口蓋化して /d͡ʒi/(ジャ行の子音+イ)のような音になりました。
- さらにこの /d͡ʒi/ は、破裂の要素(/d/)が弱まり、摩擦の要素(/ʒ/)が強くなって、/ʒi/(ジャ行の子音+イ)のような音へと変化する傾向が見られました。
- 一方、サ行の濁音「じ」はもともと /zi/ または /ʒi/ のような摩擦音でした。
- 結果として、「ぢ」の変化した音 /d͡ʒi/ や /ʒi/ が、「じ」の音 /zi/ や /ʒi/ と近接または同一の発音となり、区別が失われました。現代標準語では、これらは通常 /d͡ʒi/ または /ʒi/ のどちらかの音で発音されます(地域や話者によって異なりますが、多くの場合 /d͡ʒi/ が優勢です)。
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ツ行・ズ行子音の摩擦音化:
- 「ツ」/tu/ は、シラブル末や他の子音の前では /tsɯ̥/ のような破擦音ですが、母音 /u/ と結合した場合は、破擦音 /t͡su/(タ行の子音+ウ)のような音になります。
- その濁音である「づ」/du/ も同様に、/d͡zu/(ダ行の子音+ウ)のような音になりました。
- さらにこの /d͡zu/ は、摩擦の要素(/z/)が強まって /zu/(ザ行の子音+ウ)のような音へと変化する傾向が見られました。
- 一方、サ行の濁音「ず」はもともと /zu/ のような摩擦音でした。
- 結果として、「づ」の変化した音 /d͡zu/ や /zu/ が、「ず」の音 /zu/ と近接または同一の発音となり、区別が失われました。現代標準語では、これらは通常 /d͡zu/ または /zu/ のどちらかの音で発音されます(多くの場合 /d͡zu/ が優勢です)。
これらの音変化は、主に室町時代後期から江戸時代にかけて進行したと考えられています。変化の背景には、調音の便宜(発音しやすい音への変化)や、特定の音環境での子音の変化(特にイ段・ウ段母音との結合)などが考えられます。
単語例で追う音変化のステップ
具体的な単語例で、変化の過程を見てみましょう。
例1:「鼻血(はなぢ)」と「味(あじ)」
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鼻血(はなぢ):
- 古形(奈良時代): はなち [hanati] (「ち」は /ti/ の音)
- 連濁で濁音化: はなぢ [hanadi] (「ぢ」は /di/ の音)
- 口蓋化・摩擦音化: はなぢ [hanad͡ʑi] または [hanaʒi]
- 現代: はなぢ [hanad͡ʒi] または [hanaʒi]
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味(あじ):
- 古形(奈良時代): あじ [azi] (「じ」は /zi/ または /ʒi/ の音)
- 現代: あじ [ad͡ʒi] または [aʒi]
かつて /di/ と /zi/ で区別されていた「鼻血」と「味」の「ぢ」「じ」が、それぞれ変化して現代では同じ /d͡ʒi/ または /ʒi/ の音で発音されるようになったことがわかります。
例2:「水(みづ)」と「ずっと(ずっと)」
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水(みづ):
- 古形(奈良時代): みづ [midu] (「づ」は /du/ の音)
- 摩擦音化: みづ [mid͡zu] または [mizu]
- 現代: みず [mizɯ̥] または [mid͡zɯ̥] (表記は「みず」が一般的)
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ずっと(ずっと):
- 古形: ずっと [zut̚to] または [zutto] (「ず」は /zu/ の音)
- 現代: ずっと [zɯt̚to] または [zutto]
かつて /du/ と /zu/ で区別されていた「水」と「ずっと」の「づ」「ず」が、それぞれ変化して現代では同じ /d͡zu/ または /zu/ の音で発音されるようになったことがわかります。
現代仮名遣いと音変化
現代仮名遣いでは、このような音の合流を踏まえ、「じ」「ず」を本則とし、「ぢ」「づ」を用いるのは以下のような限られた場合のみと定められています。
- 同音の連呼: 同じ語の中に同じ音が繰り返される場合。
- 例: ちぢむ、つづく、ちぢみ、つづら、とどける(これは「とど」で「ど」だが、畳語的な響きを持つ)
- 二語の連合(連濁): 二つの語が合わさって一つの語になる際に、後の語の語頭が濁音化する場合。
- 例: はな(鼻)+ち(血)→ はなぢ
- そこ(底)+ちから(力)→ そこぢから
- こ(子)+つかい(使い)→ こづかい
- き(木)+つち(槌)→ きづち
- つき(月)+かた(形)→ つきがた(これはガ行の例)
- かさ(傘)+つり(吊り)→ かさづり
このルールは、表記と発音の対応を単純化しつつも、歴史的な語源の一部を「ぢ」「づ」の形で残していると言えます。
まとめ
「じ」「ぢ」「ず」「づ」という四つ仮名の合流は、日本語の歴史において顕著な音声変化の一つです。かつてはそれぞれ異なる子音を持っていたこれらの音が、数世紀をかけて口蓋化や摩擦音化といった規則的なプロセスを経て、現代日本語で同じ発音になりました。
この音変化を単語例を通して追うことで、現代の仮名遣いが単なるルールではなく、過去の音の変遷の痕跡を留めていることを理解できます。また、言語の音が常に変化し続けている動的な性質や、発音と表記の関係性の複雑さについて、具体的な視点を得ることができるでしょう。このような歴史的な音変化の知識は、古語や方言の理解を深めるだけでなく、日本語という言語の構造そのものへの洞察をもたらしてくれるでしょう。